うつ病の症状5~20代で4回目の転職!そして、いよいよ心臓病の手術~

うつ病の症状

3回目の転職先でもパワセク上司にやられ、母に退職代行を頼んだモンゴロイド。
それでもまだ働くという意志はありましたし、心臓の手術をするぎりぎりまで働いていたかったのです。

1.4回目の転職先は意外とすんなりと受かった!

社会人になり、アパレル→ブラック飲食店→海外輸入食品店(パワセク上司)という履歴を持ちつつも、とりあえず職を探してたモンゴロイド。
求人情報誌を見ながら色々探してみるものの、特にピンと来なかったのですが、3社目の海外輸入食品でコーヒーについて少し学んだこともあり、コーヒーについて深く知りたいなと思っていました。

すると近所の複合施設の中にある、有名なカフェが求人募集をしていたのです。
それも自転車で10分もしないぐらい近い所で、モンゴロイドが好きな本屋の中にある。
「これだぁああっ!!」と思い、即効で面接を受けると、意外とすんなりと受かっちゃいました(*´з`)

そのカフェはとても人気だったため、「バイトでも受かるのが難しい」と言われていたたので、合格の電話が来た時は本当に嬉しさと安堵の気持ちで一杯でした。
職場の人も、意欲的にコミュニケーションを取ろうとする姿勢に少し面食らったものの、初めて企業としての研修というのはこういうものなんだ…と思えたほど、しっかりとした研修がありました。

20代で4回目の転職を採用してくれた店長にとても感謝しましたし、若いアルバイトの子も沢山居て、その殆どが本当に性格の良い子ばかり。
先輩たちも1つ1つ丁寧に教えてくれるばかりではなく、楽しませてくれる人間力に「転職してよかった。こういう良い人達って本当に居るんだなぁ」と、毎日コーヒー豆を挽きながら、その香りを嗅ぎつつ、働くスタッフを見て思っていました。

そんな中、私は一つだけ罪悪感を感じていました。
それは、心臓病の事です。
主治医の先生は「早急を要しない状況だが、早い内にした方がいい」と言っており、
初めて受診してから悠に一年は経過していたので、「そろそろどうですか?」と言われていました。
主治医の先生はとても優しく、働き盛りの私の意見が一番ということで一年の猶予をくれたのですが、初めて手術をしないか?と聞かれ時、私自身も限界を感じておりました。

自宅はマンションでしたが、1階から2階へ上る10数段しかない階段を昇るだけでも、息が上がっていたからです。
私はそれまでそれが普通だと思っていたし、ただの運動不足だと思っていたのですが、私より遥か年配の母が息が上がっておらず、トントン昇る姿を見た時は「心臓やばいかも」と思うようになりました。
また、以前から感じていた、夜寝るときに感じる自分の心臓がバクバクする時が多くなったり、息苦しいということもありました。
そのため、私は3ヶ月の研修が終わったら一旦退職し、また働けるようになったら働こうと思ったのです。

ここで「なんで一旦退職するの?」って思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、実は私が抱えている心臓病は、実際にメスを入れて開いてみないと分からないと言われたのです。
また、心臓を一回止めてから行う手術のため、何が起こるか分からない。
年齢的にも若いし、先天性ではないため最悪の事態にはなっていないと思うが、自分の組織で壊れた部分を直すことができない場合、ペースメーカーを入れることになっていたため、普通に仕事できるのかさえ自分でも分からなかったのです。

ペースメーカーって、よく電車で目にするマークですよね。
あれを自分の心臓にいれることになるかもしれないとなった時、初めて私は「怖い」という感覚を感じました。

研修が終わり、次のシフトを申請する時、私は店長に心臓病があることと、手術をするため一旦辞職したい旨を伝えました。
店長はとても残念がっていましたが、ぜひ退院したら復職してほしいと社交辞令ではありますが優しく言ってくれました。

職場のスタッフも皆、とても心配してくれ、中には泣いてくれる人も居てびっくりしました。
退職日の間までには、たくさんのメッセージカードやプレゼントなど貰い、
本当に心から復職したら、またここで働こうと思えました。

2.心臓を停止させる手術。1回ご臨終となったモンゴロイド

4回目の転職先のカフェで無事研修期間を終わらせ、これで退院しても働ける場所を作ることができたと思ったモンゴロイド。いよいよ入院をし、手術をします。

先生の計らいで、心臓を安定させるためにも1カ月間安静に病院で過ごしてから、手術をすることになったため、モンゴロイドは大量の本やカフェのマニュアル、コーヒーに関する本を持って入院しました。

最初の入院生活は「優雅ぁ~~!!」の一言に尽きました。
一日テレビや本を見たり、食事は運んできて貰えるし、殆ど人と話すこともない。
病室は殆ど年配で、それも一日寝ているだけの方が多かったので変な気負いもすることもなく楽しく過ごせましたし、母がたまにもってきれくれるご飯のおかずも味わえる。

色々な検査で凄く痛い思いをし泣くことはありましたが、小さい頃から入院って楽しいって思っていた部分があったため、検査以外は特に苦労なく過ごせました。

仕事から離れることで、心もとても穏やかになりました。
イライラするものもないし、悲しくなるような出来事に見舞われることもない。
私はブラック会社で5年も勤めた自分へのご褒美だと思おうと、手術までゆったりと過ごしました。

手術当時の日、母がいざ手術室へ向かう私の顔をみて泣いた時は、涙腺が緩みました。
いくら先生が大丈夫だろうと言っても、やはり母親は心配でたまらなかったのでしょうね。
当の私は早く手術終われーと思いながら、臨死体験できないかな?なんて呑気でした。

小さい頃、私は「扁桃腺肥大摘出」の手術をした事があり、その時も全身麻酔でした。
全身麻酔をした人は分かるかと思うのですが、あのとてつもない眠気が気持ちいいんですよね。
私はまたあの天国のような気持ちよさが味わえる~と思っていたのですが、実際は違っていました。
詳しいことはよく分からないのですが、手術台に乗せられ、

「今から首に麻酔さしますね~痛いけどすぐ眠れるからね~」と言われ、
(え?首にさす?うっ!!!いったああああ!!!)

余りの痛さに歯を食いしばりながら、涙を流しました。
「あ、涙出てる…痛いよね~ごめんねー大丈夫だよーすぐ眠れるからね~」
(ああああ痛い!!早く寝ろ!!早く寝ろ!!…ZZZ)
首にブスッと麻酔を刺されてから数秒後、私は意識を手放しました。

臨死体験できるかな~なんて楽しみにしていましたが、そんな体験もできないまま、すぐ目が覚めました。
覚えているのが、とてつもない喉の渇きでした。
手術が終わったんだ…と思うよりも、水が飲みたいという気持ちで声を出そうとしましたが出ませんでした。喉には呼吸器が入れられていたのです。
それでも、どうにか声にならない声を出すと、ICUの看護婦さんたちが気付いてくれました。

ICUでは他にも患者さんが居たのですが、一番私が元気だったと思います。
私は色々な管を首や、腕など体中にさしていたため、眠っていたとは思うのですが、ぐっすり眠ることはできませんでした。
また、他の患者さんのバイタルの音が気になったり、動かせない体が痛ったり…ちょっとHSP気質な私にとってICUで過ごした一週間は、本当に辛い日々でした。
早く静かな一般病棟でゆっくり眠りたい…その気持ちで薬の副作用で吐きながらも、ご飯はしっかり食べれば早く一般病棟に戻れると思ったので、必死で食べました。

やっと一般病棟に移ってからは、先生と看護婦さんが驚くほど頑張りました。
入院したのが10月ぐらいだったので、年末前までには自宅療養をして、
今年こそはガキ使の「笑ってはいけない○○シリーズ」や、年末の特番をおせち料理を食べながら見たい!と思っていたため、傷口が息が止まるほど痛んでも平気な顔をしました。

先生も私の頑張りに少し退院を早めてくれ、自宅ではゆっくり療養することを絶対条件に退院の許可があり、年末前にはなんとか自宅に帰ることができました。

心臓病で入院している時に、覚えているのは看護婦さんや医者の凄さ。
彼らは毎日していることだけれど、本当にすごいなぁと思いました。
いつもすみませんが口癖の私でしたが、身の回りのことや下の世話まで
してくれる看護婦さんには、自然と「ありがとうございます」の感謝の言葉が最初に出ました。
それまで、人の温かみや優しさに触れることがなかったと思いましたが、心に余裕があると、些細なことでも感謝することができました

3.社会人になってから初めての長期休暇、アップロードされた心臓は復職に耐えられるのか!?

僧帽弁閉鎖不全症という心臓病を患い、約半年間は入院や自宅療養を含め仕事をすることはできませんでした。
手術代や入院費その他諸々の費用は、「高額治療医療負担」や親がかけていてくれた生命保険で何とか賄えていましたし、2社目のブラック飲食店は残業と休みが少ないことからパートで20~23万は貰えていたので、お金にも余裕がありました。

3社目のカフェを辞めて半年間が過ぎ、傷口も大分塞がってきて、主治医にもそろそろ働いても大丈夫ですよと言われたので、私はすぐにあのカフェで復職しました。

職場のメンバーは誰も変わっていませんでしたし、研修も終えていた私が即戦力になるとも言ってくれ、心から復職を喜んでくれてました。
数人アルバイトの学生が入っていましたが、そのアルバイト達もモンゴロイドさんの噂は聞いていましたよとすぐに打ち解けられるほど、フレンドリーに接してくれました。

(あぁ、これで暫く同じ場所に居られるや…)

そう思っていた日々が続き、安堵していた頃、私にAという苦手な人ができてしまいました。
その人は私が一旦退職するまで新人の立場であり、とても仕事の覚えが早く、また夜のお仕事をやっていたということもあり、とても接客が上手でした。
いつもお客さまに一言がとても気のきくもので、私もそんな彼女の接客を心から尊敬していたほどです。
でも、どこか彼女のとげとげしさが苦手でした。

どこかと言われると、具体的には言えないんですよね。
でも、自分の勘は正しかったと後から思えました。

約半年後の仕事で凡ミスすることはよくありました。
職場の先輩たちは、ブランクがあることや、体調がまだ本調子じゃないことをふまえ、いつも笑顔で大丈夫だよ~気にしなくていいよ~と言ってくれ、フォローしてくれていました。

しかし、そのAは凡ミスする私にイライラしている様子があからさまだったのです。
時には直接注意されることもありましたし、先輩にモンゴロイドどうなの?!と直談判している時もありました。
そんなAの様子に、私は初めてカフェでの仕事が億劫になっていきました。
でも、その時は相談や愚痴を言える人が居たので、何とかやっていけたんです。

周りの人に相談や、本当に仲の良い子にAが苦手なことを言うと、皆Aのことが苦手だったことが分かりました。
理由としては、私と同じ時期に入って来たにも関わらず、上司の指示に口を出す。
夜の仕事をしていたためか、二日酔いで休んだり、時にはお酒の匂いがしたりする。
皆、Aの我の強さが苦手ということが分かって、私は随分安堵したものです。

Aが苦手という意識はどんどん強くなりました。
というか、心が傷つきやすくなっていた状態だったので、例え自分が悪くても
なんだか上げ足を取られているようにしか感じられませんでした。
体調に影響が出る前に、本当に仕事に行けなくなる前に私はすぐ転職を考えました。

その時の私はまだお金を稼ぎたい!仕事をしなきゃという意欲はあったため、今度の転職は失敗を活かせるよう、ちゃんと職場の人を見てから転職をしようと思いました。
そこでモンゴロイドが考えたのは、「副業」でした。
心臓病だったのに、そんなことして大丈夫なの?と心配されるかもしれませんが、
傷口もほぼ塞がり、心臓も正常に動いていたし、主治医にも普通に生活をしていいと言われていたので、副業をすることを決心しました。
副業は、カフェから自転車で5分もしないカラオケ屋さんにすることにしました。
朝にカフェで仕事をし、夕方から夜中までカラオケ屋で仕事する。
自宅も5分もかからない所のため、すぐ眠れることもできる。
もし、カラオケ屋の雰囲気が良かったら、カフェはすぐ辞めようと思っていました。

それと同時に私は店長にAが本当に苦手ということや、余りシフトが被らないようにお願いしていました。
シフトが被らなければ嫌な思いをすることがないと思い、すぐ辞めるよりはできる限りのことをしようと思っていました。
その頃、店長が私に対する態度が変わり始めていました。
店長はAととても仲が良かったため、私がAのことを悪く言うのは心良く思えなかったのでしょう。
それから店長からも、Aからも少し失敗や気づけなかった事を指摘される日々が続きました。

どれもここに書くようなことではないほど、些細なことで良く怒られていましたが、
当時の私は心がとても折れやすい状況だったので、全て心にグサリと刺さっていたのです。
一番嫌だったのは、自分の匂いに関して言われることでした。
私は普段から香水をつけることをあまりしませんでしたし、仕事中は絶対香水をしたことはありませんでした
ある日から店長「モンゴロイドちゃん、香水してるの?」と聞かれることがありました。
私は香水はつけていないし、制汗スプレーなどもしていない旨を伝えました。
しかし、毎回出勤するたびに私の匂いが気になると、半ば問い詰める形で聞いてくるのです。
私は毎回言われるので、周りの人に自分がそんなに香水臭いのか聞きました。
すると周りは「気にしたことない」というのです。
でも、私は答えが欲しかったので色々な人に自分の匂いについて聞きました。
するとある人が、「香水臭いって訳じゃないけど、それ柔軟剤とかの匂いじゃないの?」と言ってくれたのです。
いつも着ている制服(Yシャツや、ズボンなどは自分で用意していた)の匂いを嗅いで貰うと、
「うーん、ちょっといい匂いはするけど…でも、そんな香水臭いって訳じゃないけどね~気にしすぎなんじゃない店長。してもふわっと香るぐらいだし、いい匂いだから気にしなくていいよ~」と言われ、さらに落ち込みました。
だって柔軟剤の匂いが香るぐらいで、香水臭いって言われるんですよ。
しかし、店長しか言われたことないんですよ。

そこから私は、本当に店長とAに嫌われているんだな…と思うようになり、仕事がさらに嫌になっていました。
それでも何とかAとシフトが被ることも少なくなってきたので、私は副業として始めたカラオケ屋を楽しみにしていました。

元々歌手になりたい!なんて夢をもっていたモンゴロイド。
思えば、最初のアパレル会社を3ヶ月で退職した時、有名な定食屋の他にそのカラオケ屋の面接を受け、不合格だったので受かるか心配でしたが、これまたあっさりとOKが出ました。
カラオケ屋ってお客さまと接することも殆どなさそうだし、食事やドリンクも作ることができたりして楽しそうと思っていたのですが……研修を受け、間違いだと思いました。

そのカラオケ屋の店長は30代ぐらいの男性でしたが、なんだかヤンキー上がりの人でした。
研修はもろ「体育会系」の研修で、「いらっしゃいませ!!」「ありがとうございます!!」などの挨拶をこれでもかってほどの大声を出しながら、挨拶の練習。
お辞儀の角度や、部屋のノックから出入りまで何十回と新人しごきみたいにやられました。

(うわーっめっちゃ運動会系…しかも店長もやばそう…)と思ってはいましたが、
暇な時以外は部屋の掃除や、ドリング配りなどしているので、店長ともそうそう接する機会はありませんでした。
カフェ屋はもう精神的に嫌になっていたので、とりあえず次の職場を見つけるまではカラオケ屋を頑張るしかないぞと思い、当時は2~3時頃まで働いていました。

カラオケ屋でドリンク補充や一通りの掃除、そしていよいよ厨房で簡単な料理を作る時、「ここヤバッ」と思った出来事が起こりました。
それは私の他にも新人さんが入るという日、店長が厨房で私に調理を教えながらも、雑談をしていた時です。
店長:「今日新人くるね~」
モ:「そうですね~」
店長:「よおし、新人に人生で一番嫌な思い出ぐらいしごいてやろ~(ニヤニヤ)
モ:「ははは…(-_-;)」

そうなんです、新人来る前に新人いびりを宣言したのですこの店長
あぁやっぱり見た目通りの人だったのね。と思いつつ、このカラオケ屋で私はいつまで続けられるんだろうか…と途方にくれました。

そして、復職して4カ月頃経った頃、突如私は退職を決心します。

(もう行くの嫌だわ…カラオケ屋もヤバそうだし……どっちも辞めよう)
本当にお恥ずかしいのですが、私は体調が悪いから辞めたいと電話で言い退職しました。

スピリチュアルな世界では、克服できないことは何度でも自分に襲い掛かるといいますよね。
私は本当にその通りになっていると思いつつも、克服する気も気力もありませんでした。
ただ「逃げたい、…いつまで続くんだ~この地獄人生は…」と思っていました。

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