うつ病の症状10~精神崩壊ゾーン突入。それは突然に…~

うつ病の症状

うつ病=何もできない状況と思いがちですが、モンゴロイドの場合は、最近怒りっぽいのが表面に出ている気がします。
それも喧嘩っ早く、電車で足組んでいる人が居る時に「邪魔!!」と言いかけそうになるほど…皆さんもそんな経験ありますか?

きっかけは祖母が危篤→亡くなった瞬間を見てから

元々イライラしやすいなぁ~と思っていた2020年1月後半~2月でしたが、去年に一度危篤しかけた祖母がまた危篤となり、私は急いで祖母と祖父、母・叔父が住んでいる家へ。
介護士で何年も働いている母からみると、今回は本当に危ないという言葉を聞いて、そろそろ本当にそんな時期なのかなぁと思いながらその日は眠ることに。

次の日、母の妹(叔母)の息子が結構な体格なため、喪服を買ったことがないため近くの大きい大型ショッピング施設に。
そこでも、普通に母や叔母とも話せていましたし、危篤と言われていてもここ数日持つか持たないかぐらいだったので、残念には変わりないですが、もう当の昔に覚悟はできていたのです。

喪服を買い、病院へ着くと、祖母は天井を見上げているだけでした。
誰かの声に反応はするものの、インスリンノーマーと分かるまで何年も幻覚・幻聴に悩まされ→認知症にもなっていたので、私が孫というのも分かっていなかったと思います。
母の兄弟は多く、上から長男・長女・母・三女・次男・四女という6人兄弟でした。
長男・次男は仕事ということもあり病院にはいませんでしたが、それ以外の女兄弟は全員揃っていました。

また、4人中1人を除いては皆介護士・介護助手の資格を持っている叔母さんばかり。
本来ならば病院で過ごすような大変な介護でしたが、介護の人達と協力をして互いに負担を掛けないように祖母を介護しておりました。

介護に従事している3人は祖母の顔を見るなり、「本当にダメだ…今回は…ちょっと…」「うん、そうだね…」「私も喪服持ってくるわ…いつどうなるか分からないしな…」とそれぞれ話をしていました。

そんな中、私は人の死の瞬間を見たことはなかったので、(葬式は3度ほど経験あり)『孫のモンゴロイドだって分かっていないと思うけど…でも、とっても苦しそう…』と思っていましたが、また去年のように復活してくれるんじゃないだろうと思っていました。

元々母と叔母たちは、祖母が後先短いことはずっと前から覚悟していたことなので、墓地や葬儀をどこの会社に任せるか、女兄弟たちで良く見に行っていたそうです。
でも、最後の一手が決められないでいましたが、今回の危篤を見て私は叔母たちと共に葬儀会社を周ることに。

喪主なんて勤めたこともないですし、父方の祖母が亡くなった時も通夜・葬儀ぐらいしか出なかったため、お金がかかることは分かっていましたが、本当に100万が相場なんだと分かると何だか考えさせられるものでした。

というのも、母の父(私から見て祖父)は元々超田舎の農家の長男。
そのまま後を継いでいれば安定した+裕福な暮らしができていた筈なのですが、どうしても田舎は嫌だと言い、後継ぎは次男に任せ、実家とは絶縁状態に。
祖母と出会い6人の子供を授かるも、昔はねずみ講なんて普通にあって、人の良い祖父は良いように騙され多額の借金を抱えることに。
そのお金を返すために、祖父・祖母は子供たちを家に置いて、朝から晩まで働いていました。
常にお金がない状態+借金取りに脅される日々を母は強く覚えていると言っていたし、何故か母の兄弟にはギャンブル依存症の叔父・叔母が多く、長女の旦那が祖父の借金も義理の妹や弟の借金もチャラにしたりとしていたので、お金の事で絶対揉めるだろうと思ってはいました。

でも、もう母たちもいい年ー皆、定年以上定年近くの年代の人たちばかり。
孫も居て、長女の旦那のお陰で借金もなくなり少しは安定した生活が送られていました。

何軒か葬儀屋を周り、もし数日亡くなっても通夜・葬儀を頼める所を探すことができたため、一旦病院で待機していた叔母1人と私が変わり、各々喪服などを持ってくることになりました。

お爺ちゃん、お祖母ちゃん、私だけの病室。

お祖母ちゃんは時々無呼吸になるのですが、「お祖母ちゃん!!」と体を揺らすと起きるので、何度かそんなことをしていた気がします。
私はお祖母ちゃんの細く、冷たくなっている手を取り、『お祖母ちゃん大丈夫だよ。皆、ちゃんと準備してきたし、葬儀屋さんも決まったよ。皆、やってくれたよ。お金も心配いらないよ。お母さんたちも今は居ないけど、今向かっているからね。大丈夫だよ』そんな言葉を繰り返し言っていたような気がします。

祖母は若い時はそれは本当に美人で、ミス○○にも選ばれたことがあり、若い時働いていた映画館の窓口(チケットを渡す係)に可愛い子が居る!ととても有名だったんだそうです。
私も祖母の若かりし日の写真を見たことがありますが、とても綺麗で上品で、私のお祖母ちゃんのイメージである優しさ溢れる顔で笑っていたのが印象的でした。
そんな祖母に祖父はぞっこんで、何度も何度も口説き、やっとお付き合いができたらしいのですが、祖母もそんな祖父のことが大好きだったと小さい頃に聞いた事があります。

病気になる前(幻覚や認知症などなる前は)は、本当に仲の良い夫婦というか、理想の夫婦で、いつも母や孫である私達が訪れるととても喜んで優しくしてくれた思い出しかなかった祖母でした。
でも、祖母はとても繊細な性格でした。祖父が出張などで数日家を空けると、とても落ち込んだり…とりあえず、祖父が居ないと何もできないような人と母たちは良く言っているほど、家事や料理、授業参観など一般的に母親がやるような事は全て祖父がしていたと言っていました。

「働いている時もあったけど、昼間からお風呂に入って、料理も余りしなかったよね」
「うんうん(笑)でも居るだけで安心してたよね」

そう叔母たちが話しているのを聞いた時、やはり何もしなくても母親が居るだけで子供たちがいかに精神的に安心するのかを知りました。

これは私の勝手な仮定なのですが、母が一番鮮明に覚えていた小さい頃の話では「嫁に行くなら長男以外の所にするんだよ。苦労するからね」と背中に一番小さい子をおんぶし、手を繋ぎ夜歩いていたことなんだそうです。

祖母は箱入り娘で「この子は本当に何もできないぞ?それでもいいのか?幸せにできるのか?」と祖父も問われたそうで、時々姑や小姑など親類が祖母に嫌がらせをしていたため、祖母は鬱状態に陥り、何もできなかったのではないかと…
でも、「何もできなくても、○○さんと一緒になれるのなら、何でも俺がします。絶対に幸せにします」と祖父が言ったらしく、祖母は何をしていたんだろう?という話は未だにしています。
でも、祖母にとってはとても辛い状況で、お金もなくて、子供6人も満足に食べさせられなくて、若くして結婚+妊娠ということもあり、本当に色々な事で疲れていたのではないかと思います。

母の姉にあたる叔母の旦那さんがとても良い人で、結婚する時に「私には6人の兄弟も居るし、まだ小さい子もいる。親も借金が多額にある。そんな私と結婚する覚悟があるのですか?」と言い、旦那さんは即決断をしたらしく、結婚してからというものの、デートに一番小さい子を連れて行ったり、祖父の借金を肩代わりしてチャラにしたり(祖父は自己破産済み)と本当に色々やってくれた人です。

祖母はいつもそんな娘の旦那に頭が上がらず、本当にとても丁寧に礼儀正しく接していた記憶があります。
結婚、借金、子供6人、姑・小姑…そんな色々な事を乗り切ってきた祖母を思うと、『ばぁちゃん、もう頑張んなくても良いんだよ。ゆっくり休んでも良いんだよ。私もお爺ちゃんも傍にちゃんと居るからね』とずっと手を温めながら心で言葉を呟いていました。

ガラガラと扉が開く音が聞こえ、看護婦さんがおむつ交換に。
私とじいちゃんは、一旦外に出て待機。

でも、じいちゃんは扉のすぐ外で立っていた。
私は何も言えなかった。だって、一瞬だって離れたくないんだろうなって思ってたから。

持っていた携帯を出し、母にお願いされていたことをしようとLINEを開く。
私には兄・姉が居るのだが、もし祖母が亡くなったら全員来るか来ないか。
危篤状態なことは前日に伝え済み、私が今病院に居ることも知っていて、母は頭が真っ白状態のため、兄・姉の連絡は私がとっていました。
私は祖母の今の状況、もし亡くなったらどれくらいの人数が来るか大体で良いから知りたいことをLINEし、おむつ交換が終わった祖母の元へ戻ります。

おむつ交換をしたからか、先ほどより息がとても苦しそうに聞こえました。
無呼吸の間隔も短くなり、その度におじいちゃんと一緒に大きな声で息を吹き返そうとしました。

しかし、突如無呼吸のまま息が止まり、天井を見つめていた目が白目になり目を閉じました。

すると、同時に看護婦さんが「今、ちょっと脈が低いので来ました…」と言いながら、祖母の名前や目の動き、脈を図ります。
お爺ちゃんも私も「まさか」という気持ちのままで、看護婦さんが「…もう脈も図れないぐらい弱いです…でも、まだ声は聞こえてるので…声を掛けてあげてください…あと、先生を呼んできます…」

あぁいう時って、病院や人によっても違うのですが、明確に「亡くなりました」とは言えないんでしょうね。
爺ちゃんは「死んだのか…呆気ないもんだなぁ…」とドサッと椅子に深く座りました。
私は母や叔母たちに電話をしました。電話先では母はもう号泣していましたが、「しっかり運転してきてね!」と言ったような気がします。
一通り電話をすませていると、病室に見知らぬ何人かの叔母さんが入っていきました。
母から元々親戚が多い家族なので、誰かしら来るかもしれないことは知っていたので、病室に入り「〇〇の次女のモンゴロイドです。もう、お祖母ちゃんの脈が弱く図れない状態で…もう…母たちや叔母たちも今向かっている所です…本当につい先ほど息を引き取ったんですよ…」というと、親戚の叔母たちは「○○おばちゃん、何で待っててくれなかったの~あともう少しだったのにぃ~っ」と皆、お祖母ちゃんを囲んでくれていました。

次に私は兄・姉に連絡するために、病室を出ました。
兄は自営のためすぐ電話が繋がり、亡くなったから色々決まったら連絡するね。何かあったらお母さんは今何もできない状態だから私に連絡していいよと伝え、仕事中であった姉にはワンコール+LINEで祖母が亡くなった旨と連絡は私が受けること、何か決まったら連絡することをLINEしました。

病室に戻り祖母方の親戚たちと少し話をしていると、最初に登場したのが思いもよらない人物、通称私の中で神と呼んでいる母の姉の旦那さんとその長女が到着しました。

何故神なのかっていうのは、前述した通り祖父の借金を全てなしにしてくれたことや、嫁の兄弟たちのギャンブルの借金をなくしてくれたことなど、本当に様々な家族間のトラブルを神がきちんと解決してくれたからです。

また、神の子の長女は東京でバリバリ働く絵に描いたようなキャリアウーマン。昔からとても頭が良く愛想や礼儀も良く、私はもう一人の姉のような存在でした。

神の子長女と久しぶりの再会に嬉しい思いは抑え、「ちゃんとじいちゃんと私で看取ったよ」というと「ありがとう」と叔母さんが言ってくれました。

皆、泣いてました。それほど、優しかった祖母。
次に扉を開けたのは、母でした。

母は祖母の姿を見るなり、「待っててって言ったじゃん!!お母さん!!」と子供のように泣きじゃくりました。
母とは確執があり、それは今も変わりませんが、やはり親がこんな姿になっている所を見るのはとても厳しく、辛いことでした。
それも、こんなにも弱く泣いている所を見たことがなかったので、とてもショックでした。

私はそんな母に一瞬何もできなかったのですが、祖母方の叔母が母の背中をさすってくれ慰めてくれました。
私もそんな叔母を見習い、泣きじゃくる母の背中をさすることしかできませんでした。

これは今思い出しても辛い思い出の1つです。

母は苦労した祖母・祖父のことを看取ることが、一つの生きる目標だったのです。
私の両親は離婚していますが、離婚する前もいつか姑が亡くなったら(既に祖父は亡くなってた)自分の両親をこちらの家に住まわせたいと言っていたのを覚えていますし、それについては父も賛成でした。
インスリンノーマーの手術後、どんどん認知症が進み、分かるのはお爺ちゃんぐらいで、私が偶に顔を出しても手を横に振って「あっちへ行け」というような素振りをしていました。
認知症+耳が良く聞こえないこともあり、お祖母ちゃんの方を向いて笑っていると自分の悪口を言っていると勘違いするらしいことを知り、それからはなるべく聞こえる耳の方で大きな声で挨拶や話しかけましたが、何度も叩かれたこともあります(笑)でも猫パンチ程度なのでご安心を。

まだ手を挙げるほどの元気があった時は、昼間からお風呂に入っていた大のお風呂好きが大のお風呂嫌いになり、母がお風呂の介助をしようとすると手を挙げているほど。

時には「馬鹿!」などの暴言も吐きましたが、それぐらいの暴言は母も仕事で浴びているので慣れていました。
少しでも最後のひと時を母や祖父と過ごしたいという思いで母は日々を過ごしていましたし、一番祖母の介護や精神的ストレスを負ったのは母だと思います。
それなのに、最後の最後は死に目に会えなかったのが、悔しくて悔しくてたまらなかったんだと思うんです。

祖母が危篤→亡くなる→母がそのような状態になるまで、涙は流れましたが、私より母や叔母たちの方が辛いに決まっている。
仕事もしていない、結婚もしていない、子供もいない私が色々やらなくちゃいけない、とそこからもう思考は間違っていたと思いますが、そう思えざるを得ない状況でした。

何故なら神のご両親も具合が悪く入院をしていたからです。
そこからは余り覚えていませんが、殆どが神と神の長女が全て手配してくださいました。

病院って人が死んだらすぐ葬儀会社に遺体を渡すのは結構驚きでした。
まだ遺族の悲しみも癒えていないのに、色々な事を決めなければいけないのは本当に大変だなぁと感じました。

亡くなった次の日は、枕経というのをお坊さんがまず来てお経を唱えてくれるのですが、そこまでは私の精神状態もまだ無理矢理大丈夫でした。
でも、食欲はないし・眠れずずっと来場する人達の名簿の作成や、お金の管理などを神の長女とLINEややりとりをしながらエクセル・ワードを駆使しやっていました。

無事枕経が終わり、納棺となり、その日の夜は母・祖父・叔父と共に通夜・葬儀で執り行われる担当を話し合ったりと色々と話し合い、いざ通夜が行われる日となりました。

私は祖母が亡くなってから一食もできず、睡眠さえままらない状態でしたが、祖母を看取ったということは「モンゴロイドお願いね」と祖母に言われたような気がして、どうしても完璧に通夜・葬儀を終わらせたかったのです。

いざ、通夜のリハーサルが始まり、私は神と一緒に受付担当だったのですが、そこでどこまでの親族は香典返しを渡すけど、ここまでは渡さない、また6人兄弟+孫+孫の会社の人たちまで参列してくれたのですが、私はその説明が頭に入ってこず、神に何を渡すかをお願いすることにしました。
その代わりご香典を貰う際はこうするとか、氏名・住所などご記入下さいなど受付の係をやるのですが、それも頭に入ってこなくなり、気づいたら涙が出ていました。

何故私はこんな簡単な事もできないのか。
何故私はこんな頭が悪いのか。
何故私はこんなこともできない人間なのか。
何故私はこんな価値のない人間なのか。

そんなことしか考えられず、私の異変に気付いた神の長女が「モンゴロイド!?何で泣いてるの?無理だったらいいよ!私がやるから!」との一言に号泣し、母が駆け付け2階の遺族が集まったり寝泊りする場所へ行き私は暴走モードに…

写真のように髪を掻き毟り、壁やテーブルに頭を打ち付け、声にならないまるで獣のような声で絶叫しました。
これは多分1階にも居た親戚たちにも聞こえたはずです。それぐらい、絶叫しました。

何で自分はこんな事もできないんだろう。
仕事も何もかも上手くいかない。
何で自分はこんな頭がおかしいんだろう。
タヒにたい。

ただそれだけの感情に襲われて、酷く自分の頭を打ち付けていました。
母と大喧嘩をした時と同じ状況に、母は優しい言葉をかけてくれましたが私は母は心から私のことは理解していないと思っていたので(現在は誰よりも理解してくれていると思っています)、頭を打ち付ける行為をする私を押さえつけようとする母に反抗をしたり、とにかく暴れまわりました。

涙と鼻水と涎と自分でもその当時を振り返ると、ただの頭のおかしい奴になるのですがもう何も考えられなくなりました。
とりあえず、こんな自分を消してしまいたい…そんな感情に包まれるばかりでした。

暴走が静まり、部屋の隅っこに誰にも顔を見られないようにただ泣いて喚いて頭を打ち付けるしかありませんでした。
母が一旦1階へ降りると共に、精神科の病棟で看護助手として働いていた叔母ちゃんが来てくれて、私の背中の摩りながら、ずっと「モンゴロイドが悪いんじゃない、考え方を変えないと。できなくたっていいんだよ。モンゴロイドができないんじゃないんだ。これは病気だからね」と言ってくれたのが母は「何やってんの!」という態度に対し、とても心に沁みた言葉でもありました。
私は母も叔母さんたちも悲しみに暮れているから、私と神の長女でどうにか頑張らなきゃやらなきゃって思っていたのに、実際やろうと思ったら全然頭で理解できなくて、やろうと思ったのにこんなこともできない私なんて…とつらつらと泣き喚きながら言うと、「うんうん、いいのいいの。モンゴロイドが頑張っていたこと知ってるよ、皆感謝している。おばちゃん達がモンゴロイドに甘え過ぎたんだから自分を責めなくていいんだよ」とずっと背中をさすってくれました。

その後、早々に通夜が始まってしまったので、叔母さんと母は下に行ってしまいましたが、「寝ていないんだからとりあえず横になってなさい」と言われ、言われるがままに横になりずーっと泣いていました。













この記事を再度書くまで、約半年ぐらいは置いた気がします。(実質はもっと短いと思いますが)
結局、通夜には行けないまま夜になり実家に帰ってきました

通夜・葬式については、神と神の娘が滞りなくスムーズに全て手配をしてくれて、赤字になることもなく終わったと後日聞いた時は本当に安心したものです。

それからの私はもぬけの殻。お風呂にも入れず、自分でご飯を作る気さえ起きず、ただただ寝ているばかりの生活しかできませんでした。

祖母が亡くなってから現在(再度記事投稿:2020年8月3日)まで、色々なことがありましたが、これは後に書ける時に書きたいと思います。

現在、一度喧嘩別れをした母とは和解し、一番の理解者となってくれました。
しかし、今は実家に住んでいる父が見守ることができておらず、見張るようになってきていて、SNSをわざわざフォローしたり、このブログも見ているみたいで恐怖で一杯です。
家族だから?そんな事は関係ありません。
家族だから踏み入って欲しくない場所を、土足で踏み入れられ汚された気持ちで一杯です。

多分、このブログも見ているんでしょうが、兄が実家を立て直すため、実家から出て、相方との家が見つかるまでは母の家に居候することになりました。
今後、このブログは更新ほぼないと思います、それでもTwitterなどでうつ病で苦しんでいる人に金銭面で辛い日々を送っている方に少しでも為になるような情報を発信していきたいと思います。

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